活動まとめ(1/31~2/6)
こんにちは。ななです。
「カタシロ」の動画を観るのにハマっています。はじめて見たのはマフィア梶田さんの回だったのですが、そのまま名越先生の回を見て、その脚本や人によってガラリと変わる印象や要素に引き込まれてしまった。記憶を消してあの世界に飛び込んでみたい気持ちとすべて知っていてもどうしても心をグラグラとさせられる展開が最高。どうも涙腺が緩くて。疲れてる証だとか老化だとか聞くんですがそれでも良いものを素直に良いと思えるのはいいことじゃないのか?と思ったり。
最近思うことシリーズ。今回は、恋の正体は何なのか。もちろんその人が恋と思ったらそれは恋なのですが。私の場合、自分にしか見せない顔、好きな人にしか見せない顔が見たい、という気持ちのことをそう呼びたい。よく笑う人の、その笑顔を自分だけのものにしたいみたいな気持ちも含めて。本当はもっとダークな気持ちをそう呼びたい。それを望む人間の目には光が無いんじゃないかと思う。少しオブラートに包むなら、快楽に喘ぐ姿を見たい、というその気持ち。
悲しいことに、好きな人としたいと思うこと、好きな人にしてあげたいと思うこと、それって結局好きな人相手じゃなくても出来てしまうことだったり、してしまうことじゃないですか?って話で。イケメンがその子が好きでほほ笑んでいるのに「誰にでもああいう顔をするんだろうな」と思ってしまうあのすれ違い。どうせ最愛の人には愛されないからと自分を粗末にする登場人物たち。そんなドラマや映画、歌詞。誰もが誰かの大切な人なんて言いますが、あんなにわかりやすく運命の人を示してくれている物語の中ですらあんな訳ですから。現実はハードモードというか最早ナイトメアというか。人間vs人間というか。手にするのも手放すのも容易く、でもそれを続けて本物にするのが本当の試練。美人だから幸せになれるとか、優しいから損をするとか、そういう次元でもなくなってしまう。
なんか自分で書いていてよくわからなくなってきた。なにが言いたいかというと、恋の物語を書くと登場人物を泣かせてしまうんだけど、その子たちは恋してるのか、恋に恋してるのか、私の人生経験不足が溢れ出ているのかわからなくなっちゃうな、参った、という話。
それじゃあまたね。
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