活動まとめ(4/18~4/24)

こんにちは。ななです。
先週は「君に焦がれる青い春」を投稿しました。4月12日が水城の誕生日(という設定にした日)でした。キャラの誕生日は何の日かを調べて、あんまり似つかわしくない日は避けるようにしています。そもそもキャラの名前も有名人に同姓同名がいないことと運気がキャラに合っていることを多少確認して、あとは雰囲気で決めています。水城というか、「声を殺して喘ぐ青」は百合とBLを同時に書きたかったので性別の気にならない名前が条件でした。
これからは嫌な感じの雰囲気に話が進んでいく予定。愛なのか依存なんか、それはまだ分かりません。


今回は、愛はどこからやってくるのでしょう、ってことについて語ろうかな。
自分で小説を書いていても「好き」の後に続く言葉にはいろんなパターンがあります。

”好きだ。この瞳に焼き付けてずっと見つめていたい。どこにいても目を閉じても君を感じていたい。”

”好きだ。壊してしまいたい。その綺麗な顔が恐怖に歪むまで追い詰めて、剥き出しになるハラワタの色が知りたい。”

”好きだ。こんな気持ち初めてだった。絶対に伝えるなんて出来ない。心が痛くて痛くて、こんな気持ち捨ててしまいたい。”

ぱっと思いついただけでもこんな具合に好き勝手書けるわけですが、同じ「好き」のはずなのに私には色もカタチも全然別物に感じます。私は好きな人が傷つけられたら咄嗟に暴言を吐きそうになるぐらいそういうのが大嫌いなのですが、私自身は心を許した人には態度が雑になるという最悪なタイプの人間です。
私は好きの始まりは”所有”の関係を望むところからだと思っています。あの人のものになりたい。自分のものにしたい。あの人の色に染まりたい。自分の色に染めてやりたい。トイストーリーでおもちゃの足の裏に自分の名前を書いているあれみたいに。どこにも行かないで、何処かへ行っても誰のものか主張して、みたいな。それが結婚指輪だったりお揃いの持ち物だったりするのかなと思う。 
それで結局愛はどこからやってくるのか。私の結論としては“何処からもやってきません”。勘違いです。運命だとか、この人しかいないとか、全部勘違いです。でもそれがその人限定で分かんなくなっちゃうのが好きって奴の正体なんじゃないかと思います。だから好きな人と別れても、嫌われても、気持ちが冷めても、あなたはあなたのままです。 痛み止め理論みたいなやつです。そして”減るもんじゃないし”とか言われるようなものは確実に減っています。
自分を大切にしてください。あなたがどうしたいかが正解です。あなたがどうにかしてあげたいと思っている他人はあなたにはどうにもできません。そんな傲慢は誰にも成し遂げられません。できるのは無事や平穏を願う事だけです。私も、あなたも、フィクションの世界でも。
それじゃあまたね。

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